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東京エスオーシー潟gップ

生コン車の歴史
生コンの発展を支えた運搬手段の改良

 日本で最初の生コン工場は昭和24年11月15日竣工で、東京コンクリート工業梶i磐城セメント鰍ェ設立)、その後磐城コンクリート梶A磐城セメント(現、住友大阪セメント梶jを経て現在の東京エスオーシー葛ニ平橋工場である。

 すべてのパイオニアがそうであるように、製造面と同様に輸送面では苦労が多かった。アメリカではミキサートラックが普及している情報は伝わっていたが、当時はそれを輸入できる時代ではなかった。

 ダンプトラックさえ簡単には手に入らなかった。創業当時は、輸送面で苦労が有った様ですが試行錯誤の末、昭和25年から、使用していたダンプトラックからアジテータダンプトラック(攪拌翼付きダンプトラック)を考案し、輸送方法も確立し、安定した品質の生コンが供給され普及し始めました。

 その後、現在のミキサー車の原型となった、傾胴型トラックアジテータ車の開発は昭和26年に磐城コンクリートが犬塚製作所と共同で研究を始め、実物の3分の1程度の小型により種々実験を重ね昭和27年に国産第1号の試作車を完成した。

 国産初の傾胴型トラックアジテータ車の開発の成功により生コン発展の基となった。


生コン輸送用ダンプトラック

 終戦間もない昭和24年〜25年頃は、都市内でもダンプトラックは珍しく、最大級の国産トラックもやっと5トンクラスのものが稼動していたと云われている。

 昭和25年 磐城コンクリート工業鰍ナ開発された日本初の生コン輸送用の油圧式ダンプトラック、積載量2m3。

 その後荷箱の断面を半円型としその中心部に羽根を付けた軸を設置、左右に動かし強制撹拌した。

 この撹拌機付のダンプトラックは昭和26年夏からの地下鉄丸の内線新設工事では主力運搬車として活躍したと伝えられています。

 


東京温泉新築工事現場風景

 

 昭和25年 磐城コンクリート工業鰍ェ初めて建築物件として生コンクリートを納入した。

 磐城コンクリート工業鰍ヘ現在の東京エスオーシー葛ニ平橋工場であり、昭和24年創業の日本初の生コン工場である。


水平胴型アジテータダンプトラック

 昭和28年 関西地区では旧大坂セメント鰍ェ全額出資して設立した、大阪生コンクリート鰍ェ佃工場で操業を開始した。当時使用されたアジテータ車。


国産初の傾胴式トラックアジテータ車

 昭和27年 磐城コンクリート工業鰍ナ開発されたトラックアジテータ車。

 ダンプ式に比べ稼動性能は飛躍的に向上した。積載量2.5m3。

 この傾胴型運搬車は、毎日のように地下鉄工事池袋工区への納入にフル稼働したといわれています。写真にある「イワキ生コンクリート」の看板と続く側板は、開発に苦心した動力伝達部分とドラムセンター軸受方式を遮蔽するために付けられたもので、当時他社や運搬業者が連日納入現場にカメラを持って待ち構えていたと伝えられています。

 その後、意味の無くなった遮蔽版は寸法を小さくして、「住友大阪生コンクリート」の看板となって歴史と共に生きています。


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